インドネシア・バンダアチェについての印象

         東京大学医科学研究所先端医療研究センター感染症分野
                                        李 権二

 私はインドネシア・バンダアチェにて国際緊急援助隊医療チームの小児科
医として活動しました。事前に阪大の中村安秀先生にメールで相談したところ、
年末にもかかわらずお電話でアドバイスをいただき、大変ありがとうございまし
た。アドバイスは大きく3点でした。

1 災害時の健康教育
2 重症下痢症の診断にはナイーブなお国柄
3 マラリア、デングの流行に注意

 以上3点について、以下ご報告いたしますとおり、1,3についてはうまくいきまし
た。2についても、未曾有の災害のためかジャカルタ出身の医師でさえその危
険性に言及されているほどでした。ただし、外国人がアチェに入ることには神経
質になっている発言もあるように、いろいろと言動には注意が必要な場所では
あります。

 私自身、平成13年2月に国際厚生事業団「新興・再興感染症分野派遣専門家
研修」でバングラデシュ国際下痢性疾病研究センターに約1ヶ月研修しており、被
災地で流行が予想された下痢性疾患の鑑別にはこの経験が決定的でした。

 報道によると1/1で、、インドネシアで約79,000名死亡、全体で約125,000名が死
亡と被害が推計されていました。1/1にジャカルタに到着し、外務省の栗田医務官
より当地で過去に流行が確認されていたデングやマラリアの流行はもう少し雨季が
進んでからだろう、コレラは発症が確認されていないものの、うわさはあるようだ、
などのコメントをいただきました。また、アチェ州を拠点とする独立派反政府武装組
織「自由アチェ運動」(GAM)スポークスマンは「地震・津波による犠牲者を追悼、被災
者の深い悲しみを思い、闘争の一方的停止を決めた」と発表しており、治安面でも
バンダアチェでの活動が承認されました。中村先生からコメントをいただいていたの
ですが、疾患の構造を早く理解するためにも現地ドクターとの交流を積極的にする
ことは課題でした。

 

1/2には先遣隊が現地入りして診療を開始し、50人を診察しました。その日の午後
にはわれわれ本隊が到着し、主に私が内科、小児科系の患者12人を診察しました。
業務調整のため、大使館、領事館やJICA関係者が移動の車両、宿舎、通訳の手配
などに奔走してくださいました。JICA青年招聘事業の留学により親日家が多いため
か、被災者でありながらも現地に住むインドネシア人の好意でそれら診療活動に必要
な環境が整えられていきました。被害の状況、ならびに猛暑やスコールなどの気象条
件を勘案して、当初の診療目標は1日130人と設定しました。

 はじめの2日間で計260名を診察しましたが、医薬品の不足が深刻化し、ジャカルタに追加を
要請しました。1/3の診療の反省として、日中はかなり暑いので、隊員の健康管理のた
め休息を取る必要があること、重症は10例程度であったが、災害現場の厳しい現実と
して、持参した設備や装備の中、できる範囲で診察をしていくしかないことなどが協議さ
れました。そのため、1/4以降は、外来患者を150名程度に制限せざるをえませんでした。
数名の隊員が下痢や発熱を訴えながらも診療は滞りなく続けることができました。
9日間の診療活動で患者数1193名、うち15歳以下は309名と全体の25.9%が小児でした。
再診を含めた患者のべ数は1436名でした。猛暑とスコールのなか、全力を尽くした結果
です。ただ、1日の患者を150名と設定したため、せっかく来ていただいたのに診察でき
ない人が大勢いたのが残念でした。

 赤痢疑いで紹介した1例を除いて、脱水を伴う重症下痢症は認められませんでした。津
波の水を飲んだことによる不快感や、疲労からくる感冒症状が多く認められました。ただ
し、ほとんど全ての患者は家族や親戚を災害で亡くすか、行方不明で、その意味で受診し
た全ての方が被災者でした。両親を失って、感情が麻痺し、夜に眠れない、余震で非常に
おびえるなど、PTSDの前駆症状とみられる訴えが多くの患者に認められました。印象では、
60%以上の患者にこれらの症状がありました。

 1/5には私を含めた3名の隊員が、ユニセフが主催するドナーミーティングに参加しました。
Mr. Budi Subianto, UNICEF project officer, health unitによると、バンダアチェにおける麻疹、
三種混合予防接種率は67%、ポリオ71%そしてBCG77%でした。麻疹の流行が危惧されるため、
早期から麻疹の2回目を追加する計画が示されていました。マラリア、デング流行についての
データは津波によって消失していました。ただ、2004年にはマラリア患者はなく、デングは4,5年
毎に流行の周期があるようでした。他に、コレラは数年前に流行があり、赤痢は問題なく、チ
フスのデータはもともとなかったようです。詳細はこちらもデータが消失したため不明でした。
マレーシアの医療チームが2歳以上の患者にチフスワクチン、コレラワクチンを接種していま
した。しかし、これらには数に限りがあるようです。

 ユニセフは子どもたちのための心的外傷ケアも模索していて、複数のNGOとともに活動サイ
トの確認、心理士を動員して孤児のためのトラウマケアについて協議していました。ユニセフは
インドネシア語のトラウマケアのテキストを作成しており、これをもとにケアにあたると話してい
ました。子どもとともに絵をかいたり、ゲームをしたりして心を開いてくれるよう意図されていま
した。

 診療テントの横では、ムハマディア大学の医師らによる衛生教育が行われました。診察の待
ち時間を利用して、手洗いの重要性、飲用水の煮沸について説明されました。中村先生による
と、もともと衛生については意識の高い土地柄ではありますが、今後の防疫活動の観点から画
期的な共同作業と言えるのではないでしょうか。この件については1/14の朝日新聞でも記事が
取り上げられておりました。これらの共同作業は大使館関係者の尽力によるものであります。

 最後に、中村先生ともお話していたのですが、このような医療チームに小児科医は不可欠で
あります。日本の小児医療は感染症制圧から慢性疾患や障害児ケアにシフトしてきています
よね。ただ、世界の多くの子どもたちはいまだ、下痢症や肺炎で5歳を待たずに命を落としてい
るのが現状です。日本の臨床現場で活躍する小児科医が、海外にも興味を広げていくことは、日
本の戦後復興の経験を生かすことにつながり、閉塞した日本の小児医療の魅力を再び開花させ
ることもできます。中村先生は東大だけでなく、神戸大や埼玉医大でもそのような取り組みをされ
ておりますので、小児医療と国際医療とを結びつける動きが大きくなっていくことを私も願ってお
ります。